八雲 その2

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

これは、スサノオノミコトが詠んだ日本最古の和歌と言われる。
北海道の八雲は、どういう経路か知らないのだが、開拓指導者の徳川慶勝により、その歌に因んで命名されたらしい。

八雲立つ、といえば出雲の枕詞。

出雲で調子の良かった旅唄いだが、果たして、遠い蝦夷地でも神様の導きはあるのか。
という事で、八雲編の後半をどうぞ。

袋小路の入り口は、道幅で5メートルくらいだった。
そんな狭い道。シャッターの下りた店の玄関先でギターケースを開いて座っている僕は、通りがかる人にかなりのプレッシャーを与えたろう。
だけど、その不自然さにプレッシャーを感じるのはこちらも同じ。

例えば、こういう時にいちばん困るのが

「何してるの?」

と純粋に尋ねられる事だ。
だが、この時ばかりは、それでも良かった。
誰か声でも掛けてくれた方が気が楽だった。
反応はといえば、未だカーテン越しの影と

「よ~いよい♪」

と笑いながら通り過ぎたオッチャンだけだ。
ああ! 早く誰か酔っ払い来て!ストリートミュージシャンには稀有な台詞)


気落ちして歌が止まってしまうと、自分の中の何かが切れてしまいそうだった。
いつもなら一晩に同じ歌を何度も唄うなんて、リクエストじゃない限りやらないんだけど、不本意な昭和ヒットメドレーを繰り返した。
なるべく絡みやすい歌を唄い続けた方が得策と判断した。
手塚幸ファンなら 「どうしたんですか」 と驚くほどのバーゲンセールだ。

バーゲンの甲斐があったのか、右手の車道に車がゆるゆると止まって助手席の窓がウイ~ンと開いた。
中から、女性がにこやかに微笑みかける。
僕も歌の途中だったがチャンスは逃さず、演奏を続けながら微笑み返しを送った。
すると

「そこ、通れますか~?」

車が、入りきれなかったらしい・・・。
すみませんでした~、とわざわざ謝ってくれるお姉さんが、非常に申し訳なかった。

ようやくの好反応とはならなかったが、それでも少し安心する。
袋小路の関係者が、嫌な顔をするでもなかったからだ。
ここで演奏なんて恐らく誰も思い浮かばない反則技的な場所だったにも関わらず、八雲の人は心が広い様だ。
さすがは北海道、開拓民の血か。

唄い出して1時間以上。
普段なら、そろそろ何か反応がないと不安になる時間だった。
そして、実際に不安はあった。
けれど場所が場所だけに、これは仕方ない。
いつも思う様に、唄えるだけマシだとしよう。
飲み屋街としては、人通りも明らかにない。
飲み屋街というか、ここはささやかな飲み屋ブロックなのだから。

人は、少ないが通り続けている。
僕はいつもの小休止を少なくして、なるべく唄い続けていた。
さすがにネタが尽きてきたので(本当は大量にあるのだが、気分の問題)唄い慣れた曲にスライドして、マイペースに切り替えた。
パチンコ屋のネオンもまだ消えてないし大丈夫だ、なんて考えながら唄っていた時だ。
何やら風呂敷包みを抱えたお母さんが、慌しく横切って行った。
普通のお母さん、といった出で立ちだったが、どこかのお店の関係者の様にも思える。
通り慣れた道に、まさか得体の知れないギター弾きが座っているとも思わず驚いたのだろう。
お母さんは、あら、と小声で振り返っていたが、それでも笑顔に見えた。
僕も会釈を返したが、もうお母さんは角を曲がっていた。

用事を終えたのか、さっきのお母さんが戻ってきたのは10分後だったか。
ニコニコと、また駆け足で通り過ぎた。
通り過ぎたと思ったが、違った。目の前に立ち止まってくれた。

「お兄さん、なんかスゴイね~! アタシ、そこのお店で飲んでるから、おいで!  ジュースでも奢るからさ!」

人の好い笑顔が印象的なお母さん(推定47歳)は、そう言うと 「そこの奥だから~」 と、再び袋小路の闇へ消えた。
あまりにも不意打ちだったので珍しく戸惑っていた僕だったが、現状打破の機会を逃す訳もなく、急いで荷物をまとめた。
せっかくだからジュースじゃなくてビールを貰おうなんて、不届きな事を念頭に置いていた。

支度の遅い(荷物の多い)僕を心配してくれたのか、再び戻ってきたお母さんに案内されて、お店に入った。入って、驚いた。
小さなスナックか居酒屋さんかと思っていたら

広々としたホールと長いカウンターがあり
なんと特筆すべきはギターやらベースやらドラムセットの置かれたステージがあった。

「ここはねえ、昔はダンスホールだったのさ」

カウンターに案内された僕は、北海道独特のアクセントでお母さんの説明を受けていた。
なるほど、全盛期が偲ばれるといった雰囲気で、ホール中央には不規則にテーブルが並び、数名のお客さんが飲んでいる。男性も女性もお客さんの様で、皆ラフにくつろいでいた。
僕が店内をしげしげと見回していると、上品なママさんがおしぼりを持ってきてくれたので、恐縮しながらも、とりあえず生ビール(恐縮してない)をもらった。

「いやあ。こんな人、珍しいからさあ」

そう言って笑うお母さんとグラスを合わせて、まずはお礼を言った。
お母さんは良い飲みっぷりで

「外なんかじゃなくて、ここで唄っていけばいいよ~
 ほら、こっちの方がチップも入るからさ~

と、僕の肩をバンバン叩きながら話す。
豪快ながら、なんて鋭い所を突いてくれんだろう。
助かります、と照れながらも、心でガッツポーズをする旅唄い。

しばらく色々と話をさせてもらい、僕のビールは2杯目になった。
聞けば、ずいぶん古くからやってるお店で、ゴールデンカップスのメンバーも演奏に来たらしい。
マスターもかなり音楽好きらしいが、今は飲みに出かけていると聞いた。
こういうお店のマスターって、そういう人が多い気がする。

「そろそろ、ステージで唄ったら?」

とママに促されたので、緊張の面持ちで準備に入った。
横目で見ると、ホールのお客さんも期待している様子だ。
そこで更に緊張する旅唄い。

おっとりと上品だけれどやけに手際よくマイクセッティングするママさんに感嘆しながら、僕はたどたどしい挨拶で唄い始めた。
まだまだ完成されたオリジナルも少ない頃で、そうでなくても初めての場なので、カバー曲を中心に唄ったと思う。
それが良かったのか、偶然に居合わせただけのお客さんも、かなり真剣に聴いてくれた。
少しだけ、リクエストにも応えさせてもらった。

悔しい事なのだが、今となっては、お店の名前も、お母さんの名前さえ失念してしまっている。
それでもチップを頂いた事だけは忘れていないのが、なんてイヤらしいんだろう。
何せ、路上で唄い出せはしたものの、実は今夜中に投げ銭が入る自信がなかったのだ。
明日は駅前で昼に唄おうかとも考えていたところに救いのお呼びがかかり、安心感と緊張感が複雑に絡んでいた。

何とか喜んでもらったが、残念な事にお母さんは

「アタシは明日が早いから」

と、途中で帰られた。
お母さんは漁師で、夜中の2時に起きるという。
海の女の優しさと豪快さに、心から感謝した。

「まだ飲んでていいからね」

と言ってくれたお母さんとお店に甘え、僕はしばらくカウンターで飲んだり、演奏させてもらったりを続けた。
そのうち
すごい勢いで酔っ払って入店してきたファンキーなオジサンが実はマスターで
今日は旅のミュージシャンの方が来てるのよ、というママの説明も聞いたか聞かずか
おうおう!! と僕の演奏にノリノリで握手してくれた。
こういうお店のマスターって、そういう人が多い気がする・・・。

結局、0時くらいだったろうか。
お店の閉店に合わせ、僕も荷物をまとめた。
頂いたチップは、函館まで十二分に足りる。

「明日は、函館に行こうと思います」

ママさんには笑顔で挨拶をした僕だったが、実際はまだまだ不安があった。
僕が閉店まで甘えたのは、今夜の行き場を考えていないからだ。
なるべく遅くまで時間を費やしたかった。
本来なら、あまり長居せず、ある程度でお店を出ればよかったのだろう。
申し訳なかった。

外に出ると、八雲の町は眠り始めていた。
酒で熱くなった顔に、冷たい風が気持ちよかった。
だけど僕は知っていた。この心地良さは、あっという間に命取りだ。
まだ9月の末とはいえ、野宿の準備などない僕には堪えるはずだ。



僕は国道5号線に向かって歩いた。
夜の間は眠らない事に決めたからだ。
せっかくなら1駅ぐらい歩いてやれと、僕は星を頼りに方角を決めて歩き出した。

冗談ではなく、カシオペアを見て方角を確かめた。

この行き当たりばったりな決断もまた、途中で後悔に変わる。

案の定、一気に冷えが来た。
コンビニで飲み物を買った後、カバンの中の長袖シャツを出して重ね着した。

この時点では知らないのだが、僕が向かっているのは八雲から1駅の山越(やまこし)という駅だ。
距離で、ほんの4キロ程だ。大した距離でもない。

なのに、2時間もかかった。

その頃、僕の荷物は短期旅行用の車輪の華奢なキャリーバッグで、ギターケースは背負うタイプではなかった。こいつが結構、腕に負担なのだ。
その状態で、そのうち現れる舗装もそこそこな道路を歩くと予想以上に疲れるのだが、路面よりも道そのものが大問題だった。

やがて、歩道が消えるのだ。

コンビニにパチンコ屋、ビデオ屋っぽい灯りを背中に南へ歩く事、20分ほど。
次第に街灯が少なくなり、真っ暗な民家の影だけが右手にある。
更にいうと、南下する僕の左手は海で、思いっきり海岸線になっていた。
大型のトラックや乗用車が結構な速度で走る道だったので、僕は用心深く歩いた。
こんな時間に歩道を歩く人間は誰もおらず、僕は歩いてくる中、どっかの駐車場でカップルを1組見ただけだ。歩道では自転車さえ通らなかった。実に、駅前から20分の距離で。

ただでさえ歩行者なんかいそうもない道を、僕ときたら真っ黒な服に真っ黒なギターケースで、ご丁寧にキャリーバッグまで真っ黒だった。

反射素材は何もなく、轢いてくださいといわんばかりだ。

なるべくガードレールのある側を歩き、ガードレールさえなくなると、歩道と思しき幅のある方を選んで歩いた。
右へ左へと安全な道を探すのだが、その間も信号のない国道をビュンビュンと走り去るトラック。
これは、たまったものじゃない。
大昔の携帯ゲームに

車が左右から走って来る道路を カエルを操って 轢かれない様に渡る

というのがあったが、まさしくそれだった。
しかも、僕はゲームの様に3匹もいない。

それでもだ。
それでも1時間ほど気をつけながら歩いていると、今度は街灯さえなくなった・・・。

落ち着け! 落ち着け! 暗闇に目を慣らせ!

そう言い聞かせて煙草でも吹かしていると、確かに目は慣れた。
慣れたが、道行く車の知った事ではない。
ドライバーは人影など見えない国道を

まさか真っ黒なカエルが右に左に横切ってるなんて思ってくれない。

ひたすら耳を澄まして目を凝らし、僕は神経を尖らせるしかなかった。
冷や冷やモノで、カメの歩みだ。カエルでカメって、どんな生き物だ。

やがて、最大の難関がやってきた。

進行方向へ向かって、ゆるやかな右カーブ。
僕は、海岸線の逆を歩いていた。なんとか時折、自販機などがあって安全だったからだ。
しかし、どう見てもある一点で歩道が消えている。ガードレールが、終わりを告げている。
そのまま車道の端を歩いたりしてると、前方からの車に対して死角になるので

かなりの確率で、カエルさんサヨウナラだ (。-人-。)チーン…

どうしよう。
反対側って、海だよな。
さっきから 「ドドドドドド・・・」 って聞こえるもんな。
海鳴りだよな。
ジョジョじゃないよな。

そして不安げに目を凝らす左前方。
ガードレールはあるけど・・・

歩道、なし(´,_ゝ`)プププ

ノォ~~~~~っっ!!

これは、いくらなんでも歩けないだろう。
考え込んでいるうちに、前方からヘッドライトらしき灯りが見えた。
見えたと思ったら、グゥゥゥウォ~~~~!! と一瞬でトラックが走り抜けた。

右側を歩いた場合のシミュレーション上、まず1匹目のカエルさんが死んだ。

こうなったら、歩道はないがガードレールのある海側を歩こう。

また耳を澄まして目を凝らし、僕は海側に渡って歩みを再開した。
ガードレールが道標にはなっているものの、高さで二十メートルくらいはある断崖だ。
踏み外せば2匹目のカエルさんも無事ではすまない。
車、来ませんように・・・。

そうこうして怯えながら歩く事、5分。
街灯は皆無に等しく、右手にまばらにあったはずの民家の灯りもない。
車も、なぜかピタリと通らなくなった。
こうなると、いちばん明るいのは空だった。見た事もない満天の星空だ。
僕は今まさに星明りで歩いているのだと、妙な感動が胸に沸き起こっていた。
不思議な感慨に、つい立ち止まってしまう。

断崖の下、相変わらず低い音で海鳴りが響いている。
その音は、天空から聞こえてくる様にも思える。
見上げれば星は数え切れないほど、星座盤みたいだ。
水平線の下に、漁船の灯りもチラホラ見えた。
あのお母さんも、そろそろ海に出る時間なのかなあと思い出す。
今日1日を、思い出す。

呑気に酒でも飲みながら列車に揺られた昼間。
唄う場所が見つからないと決め付けて焦り始めた夕方。
開き直って唄い始めた八雲の道端。
今、こうして真っ暗な海沿いの国道を歩いている僕は、一体、何の集大成なんだろう。
失敗や成功はあったろうか。
反省材料はいくつもあったが、どこにも失敗などなかった気もする。
失敗した訳でもないのに、一時はかなりへこんだものだ。
なんて、馬鹿らしいんだろう。

星明りで歩く道のりの険しさを知ったけれど、それもまた僕だけの小さな体験だ。
浮かれてみたり、勝手にへこんだり、誰かのお陰で持ち直してみたり、そんな繰り返しの旅。
いつか、それらは何かになるのだろうか。

もう一度、満天の星空を眺め、何らかの答えをねだる様に僕は大きく息を吸い込んだ。
薄っすらと雲の帯が棚引いて、星々に照らされている。
快晴の様にも見えていたが、雲が出てるんだな。そう思った僕だったが、全くの見当違いだった。
雲に見えていた空の帯は、なんと天の川だった。
星明りに照らされているのではなく、それこそが星の集まりだったのだ。
天の川がこんなにはっきりと見えるなんて生まれて初めてだったので、気が付かなかった。

しばしの感動の後、訳の分からない涙が溢れて止まらなかった。
いや、訳はあったろう。
それこそ幾千億という星の集まりで輝いて見える天の川が、その姿の通り、僕のちっぽけで小さな小さな後悔や経験さえ積み重ねる事でひとつの答えを導けるだろうよと、暗に囁いている気がしたのだ。
明日の函館もまた、知らない町だ。不安はある。
けれど、僕には唄い出す事でしか前に進む方法がない。
唄った結果の対価でしか、生きる希望も実力も手には入らない。
明日は、躊躇せずに唄い出そう。


涙は止まらなかったけれど、僕は歩き出した。
止まらないままに歩き出した瞬間、背面から轟音と共にトラックが追い抜いて行った。
そこで、僕は一気に青ざめた。
猛スピードのトラックのせいじゃない。

あと2、3歩で、道が終わっていたからだ・・・。

実は、立ち尽くしていた所でガードレールは終わり、道の先に茂る雑草の向こうは断崖絶壁だった。
ヘッドライトが照らしてくれたお陰で見えたのだが、ウルウル涙混じりに歩いていたら3匹目のカエルさんも、どうなっていた事やらである。


函館本線八雲駅から南へ1つの山越駅に到着したのは、それから30分ほどだった。
そこでも僕は寒さのために窮地に陥る訳だが、それはまた、次の機会に話そう。


※なお、今回よりコメントの書き込みに、アカウント入力を省略してみました。
  設定方法が分かってなかったんです。。。
  初コメント歓迎ですので、お試しがてら、よろしくお願いします。
  コメント記入者の欄で『名前:URL』を選択してください。
  URLは、未入力でもOKです。
  携帯からのコメントは・・・どうなのか分かりません。
  

ちなみに下の写真は、まったく逆方向の積丹半島・島武意海岸でのものw



Googleマイマップ「西高東低~南高北低」

http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=42.255654,140.272483&spn=0.001755,0.004436&z=18

八雲 その1

記念すべき、というか第1回の投稿が北海道の話だった。
(札幌)http://tabiutai.blogspot.com/2009/04/blog-post.html

当初は、どういった感じのストーリーが展開されるのか、まだはっきりとは決まっておらず、とにかく書き出した。
書き出してみて、重いなあと反省して、次にはちょっと旅情めいた事も書いてみた。
(長門)http://tabiutai.blogspot.com/2009/05/blog-post.html


すると今度は、照れくさいなあ、となってしまった。
しかし、旅なんて恥ずかしい事の方が多く

「俺達は恥をかくために旅をしてるんだろう!」


とは、同じく旅ミュージシャンの言葉。
わざわざ恥をかこうとは思っていないが、結果的にそうなる事は多い。
なので恥を忍んで、そんな恥ずかしい、照れくさい話を書き続けている。


北海道の話をしよう。
札幌から函館へ伸びる渡島(おしま)半島に位置する、八雲という町だ。
平成17年の合併で、日本唯一の 『日本海と太平洋の両方に面した町』 になったらしい八雲。
知名度は低いはずだけど、素敵な出会いがあった町。



僕はその時、3度目の小樽で唄った後だった。
下関からスタートして、日本海側を縦断しようと思っていた、2003年の秋。
山陰を過ぎた辺りから順調になったので、寒くなる前に一度、北海道へ渡ろうと思ったのだ。
だから、次の目的地は本州に逆戻りだった。
そうなると一度、青函を渡る事になる。順当に考えれば、次の目的地は函館辺りだろうか。
北海道も3回目ともなれば、さすがに札幌・小樽だけでは物足りなくなっていたので、ちょうど良いかも知れない。


僕は、頭になかったルートを確認するために、午前中の小樽駅でしばし考えた。
函館までは半日を費やす事になるらしいが、実は手持ちが危ない。
ただ、途中の乗り継ぎ駅の長万部(おしゃまんべ)というのが気になる。
そういえば昔、タモさんがテレビで


「おしゃ、まんべ!!」


とか、やってたな。なんか有名な町なんだろうな。
軽々しくもそう思った僕は、そこを開拓地とする事に決めて、ひとまず函館本線に乗り込んだ。
切符は、千円で間に合うだけを買った。


あまり乗客がいなかったので気を緩めてポケットウイスキーなどをチビチビやっていると、列車は石狩湾を右手に見送りながら、やがて山間に入って行く。
天候は、晴れ。
気分は良かった。


ふと、網棚の上にギターを乗せる時に落としたチラシの様なものが目に入り、暇を持て余していた僕は、何気なく拾い上げてそれを眺めた。道央の案内めいたチラシだった。
ひとまずの目的地になった長万部は、まだまだ先だ。小樽から見れば南の太平洋側にある、内浦湾に面した長万部。
その途中に、僕は倶知安(くっちゃん)という地名を見つけた。聞き覚えがある地名だ。温泉もあるらしい。


温泉街は意外に稼げない。
そんな教訓もまだまだ知らなかった僕はワクワクしてしまい、通りかかった車掌さんに切符を見せて倶知安まで幾らなのか聞いてみた。すると、数十円プラスで足りる事が分かった。
程なく、僕は倶知安の駅に降り立った。


うーん。
どうだったんだろう・・・。
地理的には羊蹄山が南南東に見えたはずなのだが、それがキレイに見えたとかいう記憶もない。
今、一生懸命になって思い出してみるのだが、どうにも閑散とした広大な駅前が朧気に浮かぶだけで、具体的な記憶が蘇らない。

蘇らないのは、降りた瞬間に失敗だと決め付け、煙草を一服したのみだからかも知れない。

それは決して倶知安が悪い訳ではなく、下調べもせずに途中下車した自分が悪いのだ。


じゃあ次は長万部だと、素直に長万部までの切符を買った。
本数が少ないので、やけに待った。
暇になると空腹に気付くもので、駅の売店でおむすびを買って食べた。
食べるとなんだか気が楽になるもので、ビールなんか買って飲んだ。
すでに切符を買っているので、出費が気にならないのだ。
まだまだ未熟な旅唄いは、下調べのなさを反省材料にしなかった。しないまま、やがて来た列車に乗り込み、長万部へと向かった。
500円玉があったし、唄えばどうにかなるやと思っていた。


長万部駅は終点だったはずで、居眠りしている所を車掌さんに起こされた。
陽は傾きかけていたけれど、駅前に降り立つと青い空が広がっていた。
大地よりも、まずは広大な空が目に飛び込んだ。
白くかすむ青空から目線を落としていくと海らしき色が見え、その海へ向かって限りなく水平に、建物が並んでいた。


僕は、今もそうするように急いで電話帳を開いた。
― スナック
この町の飲み屋街には、どれくらいの店があるんだろう。どれくらいの規模なんだろう。それを、慌てる様に調べた。
だけど、僕が望むような形の飲み屋街などなさそうだという事に、薄々は気付いていた。
その頃の僕が望んだ、適度に飲み屋が密集して、民家はほとんど無く、代わりに人通りはほどほどにあるという、自分勝手な理想の場所など、ありはしないという事に。


国道を挟んだ海側に数件のスナックや料理屋がある様子だったので、僕はそちらへ渡った。
それから、格子状になったやけに幅の広いその道を、僕は何度も何度も行き来してみた。
だけど夜になったからといって、どうにも座り込んで演奏など出来る雰囲気ではない。
騒音苦情か、でなければ余程の変わり者として、10分で通報される自信だけがあった。
道端で唄いながら旅を続けようという余程の変わり者のクセに、そんな事を考えていた。


僕は、また少し考え込んだ。
どうしようか。
夜にならなければ、分からないこともある。
でも、うまく唄えたからといって、ここで一晩を過ごすにはどうしたらいいだろう。
函館まで行ける小銭は、まだ残っているだろうか。
何も分からない。
何の下調べもない事を、初めて怖いと感じた。


次第に夕日が海と反対側に落ちてゆく。
僕は歩き疲れ、線路を渡る高架の上で黙り込んだ。
とりあえず歩き回ったが、海側も山側も、それっぽい場所が見当たらない。
最後の手持ちで、動くしかない。


改札では、仕事帰りの人や学生で、小さなラッシュになっていた。
ここで唄うのはどうだろうかと、一瞬だけ考えた。
でも、駅前で唄うのは駅員とのトラブルの可能性が高い。
ギターを出してはみたけど止められたじゃ、格好も付かない。
すべてを言い訳にして、僕は移動を決めた。


簡単な直線だけで終わる様な路線図を見ると、函館が聞いて呆れるほど、手持ちはまったく足りやしなかった。動けるのは駅10個分ぐらいだ。
僕はとにかくその中から、いちばん大きい町なんじゃないかと思われる駅を選ぶしかなかった。
いくつかの駅名の中、八雲という駅名が実線で丸く囲まれていた。
多少は、規模の大きい町かも知れない。
僕は、その駅に賭けた。勘だけだ。


1時間もかからず、八雲へは到着した。
駅の規模としては決して大きくなかったが、道路沿いに建つビルや雰囲気は良い感じに思えた。
早速タウンページを開いた僕だったが、すぐに落胆した。スナックの欄は、数行で終わっていた。


スナックの在り処を捜すまでも無く、僕は待合室で考えた。
もしかすると、この駅前がいちばん良いのでは、とも思えた。
時刻は午後7時過ぎ。
まだまだ帰宅する人々が駅を使うだろうし、駅構内から少し離れれば、苦情もないかも知れない。
そして、上手くいけば今日中に函館へ移動出来る。
函館ならばさすがに、深夜まで唄ってどうにかなるだろう。
しかし、その考えもまた、すぐに消えた。消さざるを得なかった。
函館への最終は、すでに終わっていたからだ。




これまで数年。
広島や、大阪や、北海道。九州でも唄い、途方に暮れた事は多かった。
だけど、ここまで心細い事がなかったのも事実だ。
北海道の未知の町で、自分の得意な土俵が見当たらない。
たとえ結果的に一銭も入らない夜だったとしても、唄う事で自分を鼓舞してきた部分がある。
だからといって、まだ唄える場所があるか分からないこの町で、何の反応も実入りもなかったとしたら、一体どうすればいいんだろうか。

すべては、計画性のない行き当たりばったりな動きのせいだ。
余計な出費を抑えて、最初からストレートに函館までを移動していれば良かったのだ。
つまらない後悔が湧き出る。湧き出たが、今更そんなものに意味はない。
残された方法は、八雲というこの知らない町で唄って稼ぐのみだ。
とにかく歩いてみよう、ここで一晩を過ごすとなれば、まだまだ時間はある。

周辺を歩いた挙句に分かった事は、あちこち歩いても仕方がないという事だけだった。
駅から見える距離に、1件のパチンコ屋がある。
大通りから1本裏道に入ると駐車場があり、併設するように飲食店があった。
駅前を除くと、その裏道のみが人通りの多い場所だ。多少なりとも、夜のお店の灯りが見える。
その、ほんの5~6軒のお店が集まる袋小路の入り口で、ここしかないと決めた。
よく、飲み屋のテナントビルの下で唄う事があるが、それと同じ理由だった。
ここを通るからには、お客さんにしても業界人にしても、お酒の入る世界の住人だろうと思ったからだ。

決めたには決めたが、踏ん切りは付かない。
何せ、どっかと腰を下ろしたお店の入り口は、いつ背中のシャッターが開くとも知れない。
この数年に少しだけ蓄えてきた勘を働かせたが、分からなかった。
上手い具合に今からお店を開けそうなお姉さんが通りかかったので

「こちらは営業されてるんですか」 と尋ねると

「いえ・・・今日は閉まってらっしゃると思いますけど」 というギリギリの答えが返ってきた。

それでも少々安心した僕が

「そうですか~。今から唄おうと思ってたので、気になったんです」

なんて余計な一言を発すると

「はあ・・・」

と、要領を得ない感じの作り笑顔で、いなされた。
意味合いとしては 「はあ?」 だったのだろう。

何とかで不安材料のひとつが消えた僕は、意を決してギターケースを開く事にした。
譜面台にハーモニカホルダー、その他諸々が、車も通れない細い袋小路の路上に並べられていく。誰が見ても不思議この上ない光景なのは分かっている。
この時ほど、なんで僕は駅前で唄えないんだろう、と自分で思った事もない。
明らかに、そっちの方が自然に見えるのに。

だけど、先程のお姉さんに 「ここで唄おうと思って」 なんて言ったからには、後へは退けない。
そういった追い詰め方で唄わざるを得ない様にするのが、こういう時の対処法だ。
誰が訝しんでも、何か? と澄ました顔で黙々と準備を進めるのだ。
ポケットウイスキーの残りを流し込み、妖艶なスナックの看板を眺める。
そうすれば、夜を唄う路上唄いの魂は少しずつ盛り上がっていく。
今夜もまた、ここで男と女の飽くなき駆け引きが繰り広げられるのさ、なんて。

が、そこに

チリンチリ~ン ♪

と、可愛らしいお子様のお乗りあそばす三輪車が軽快に通り行くと、路上唄いの魂は少し凹んだ。
お子様の三輪車は、どんな時も戦意を奪う。
いつまでも戦火の絶えない国では、お子様型ロボットの運転する三輪車をそこかしこに走らせればいいと思う。

戦意は奪われたが、喪失はしていない。
したら死ぬ。

そんな訳で、こういう時に便利な長○剛大先生(今更、伏字もないだろうに)の、とんぼよ~、を唄い出す旅唄い。
いきなり、お向かいの2階でカーテンが開くが、唄い始めたからには逆に何が起こっても止める理由にはならない。
カーテン越しの人影に愛想笑いをしながら、僕は歌を続けた。
止めたら死ぬ。

唄い始めまでにかなりの時間を浪費したせいで、40分も唄うと、周囲は一気に人影がまばらになった。
買物帰りの方や三輪車のお子様は消え、逆にフラフラと町を徘徊している様な雰囲気の通行人が増えている。
近隣の苦情が出るならば、すでに出ていてもおかしくない時間なので、あくまで様子を伺いながらだったが、僕はかなり安心して演奏を続けた。
ただし、反応はまだゼロだった。
それでもいい。それでいい。
今夜のうちに、ひとつだけでも反応があればいい。
たったひとつの反応さえあれば、気力は持つ。
唄わなければ何も出来ない身を実感した今となっては、今夜は唄わなかった駅前さえも明日の昼には唄えるだろう。
今夜をどうするかは、唄い終わってから考えよう。
僕は最後のウイスキーを流し込んで、臨戦態勢になった。


~起死回生の八雲編とその後に続く~




Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=42.255654,140.272483&spn=0.001755,0.004436&z=18