函館

小樽、札幌は何回も訪れていたけれど、函館は初めてだった。
理由は、やはり移動手段の偏りか。
一気に動いて一気に戻る、という船旅に慣れてしまい、ついついスッ飛ばしていた函館だ。
慣れというのは安心感でもあり、新しい事にチャレンジする気持ちを忘れると、それはたちまち慢心と臆病に変わる。


昨夜の八雲で、臆病を振り払った僕。
何もないと感じた所から、偶然を自力で掴み取ったという自信は大きかった。
「今なら何でも出来る」 という万能感に支配されるのは良くないけれど、未知のものに立ち向かう時に、モチベーションは大事だ([ひ]~ちゃん関係者談)。


さてさて。
無人駅のトイレのヒーターでモチベーションをギリギリ保った僕は、乗客のそう多くない始発で函館へ南下した。
通学の学生や出勤の方々に混じると、すぐに場の空気を変えてしまう大荷物の旅唄い。
天気はすこぶる良く、またしても函館本線の心地よい魔物に捕らえられてしまい、一睡もしてないので、ウトウトがスヤスヤに変わる。
しかし、それを許さないうちに列車は終点の函館に着いた。

函館駅は、視野の開けた東側の国道と、海に挟まれていた。
残念ながら大きな改装工事でも行っている様子で、全体像が分からなかった。
ただ、歴史、とまでは重厚さを感じないが、どこか発展に取り残された駅前商店街と路面電車の停留所の佇まいが、懐かしさに似た気持ちを呼び起こす。
港町。きっと、好きな町だろう。
駅を北へ上がっていけば、連絡線の消えた今もなお青函を結ぶフェリーの往来する函館港がある。明日はきっと、お世話になる。

とはいえ、まずは今日の事。とにかく、どこかで身体を休ませたかった。
夜と違ってうららかな陽気の函館だったが、右も左も分からない町で、適当に休みながら(眠りながら)時間を潰す方法が見当たらない。
なので、例によって公衆電話のタウンページ。

いつもの如く、飲み屋街を探す。

嬉しい事に、スナックの欄はズラリと番号が並んでいた。

珍しくメモを取ったのは、あまりの眠さに記憶力が低下している事を自覚していたからだ。
そしてもうひとつ、明日から本州に南下するための予備知識を得るため、手っ取り早くネットカフェを探した。6年以上経った今となっては、町名も忘れた。たぶん、花、という字が入った町名だった。
駅前の大きな地図で、飲み屋街と思しき地名をいくつか確認する。
有名な五稜郭から、そう遠くない位置にありそうだ。
恐らく、夜にテクテク歩いていたらすぐに分かりそうだった。なので、こっちは後回し。
次に、ネットカフェ。
こちらはずいぶん、遠くなりそうだ。
路面電車に乗るか。

結局、知らない町で知らない路面電車に乗るくらいなら歩いてみようと思い立ち、僕は市電に沿ってしばらく進んだ。
歩いて、見る。それが旅の基本だろう。
『どつく前』 という行き先の市電が否応なく気になったが、どうも行き先が違う。
どつく前は、たぶん函館ドック前。

駅前にまず見えるのは、松風町の大門商店街
なんと大門!(※津市 参照)。
それこそ、開拓移民の時代から商業を営んでそうな店舗が軒を連ねる、時代を切り取った様な商店街だった。
松風町って、すごく素敵な名前。

通りの向こうにサウナの文字を発見したので、これは、と思いちょっと覗いてみた。
が、どうにも営業してるっぽくない・・・。
調べ物もあるしさ、という大義名分でごまかし、僕は遠くネットカフェへの道のりへ舞い戻る。
翌朝に歩いたら、実はしっかり営業していたサウナ。

「くそっ。明日の青森よりも目の前の事をもっと調べてりゃ良かった」

と後悔したのは、ネットカフェまでの道のりが恐ろしく長かったからだ。
住宅地をすり抜けたネットカフェに汗だくで辿り着いたのは、90分後。


このブログを書きながら調べてみたが・・・僕が探し当てたネットカフェは、恐らく花園町の自○空間というネットカフェ。
五稜郭まででも3キロ近くあるのに、そこから更に倍ほど歩いた産業道路沿いの、地図で確認するところのラサール高校が見える辺りなのだ。
そうだ。なんか学校が見えたのを覚えてる。

「週明けの産業道路に荷物を投げて~」

と唄ってるのは、僕の『ささやかな渋滞』だが、たぶんその歌詞の元になったのは、ここか熊本だ。
ダラダラに汗をかいて

「これで店内に入ったら、さすがに嫌がられるよな」

と思い、汗が引くまで道端で座り込んでいたのだ。
コンビニで缶ビールを買ってヘラヘラしてたら、道行く車の窓から不思議なほどにジロジロと見られた。

いやあ。思い出した思い出した。
調べてみるもんだ。


さあさあ。
ネットカフェには無事に入ったものの、歩き疲れて缶ビールなんて飲んだヤツが調べ物などするはずもなく、よく寝て気がついたら終了時間。
また、あの道を歩くのか。トホホ。

それでも体力は回復したので、まだまだ明るい空の下、今度は繁華街を探す。
五稜郭公園の緑が眩しい。

さすがは観光地なので、あちこちに目印や案内図があって便利だ。
それを見ながらテクテク歩く函館。迷いようもない。
と思ったのに、なぜか目的地とズレてゆく雰囲気。

函館の道。
どこか違うと思っていたら、放射状、同心円状の道が多いのだ。
同じく北海道の札幌や、京都の町ならば、碁盤の目の様に道が交差する。
真っ直ぐ歩いて真っ直ぐ曲がれば、脳内地図は位置を誤る事がない。
しかし、微妙に曲がり行く1本道を頼りにすると、いつの間にか目的地から離れてゆくのだ。
そりゃ、どこの町でも一緒なんだろうけど

曲がってるのに曲がってる感じがしない

というのが、函館の罠だった。
すでに駅前サウナの罠に引っかかっている事を、この時点では知らない旅唄い。

目的地付近である五稜郭公園入り口の十字街には、到着した。
午後の4時過ぎくらいだったろう。
北海道で有名な丸井今井デパート付近は、やはり賑やかだ。
放課後の学生や、ショッピングの女性、まだまだビジネスの方も多く歩いている。
それでも1本裏手に入っただけで急にひっそりとした道が現れるのが面白い。
散策が楽しい街。

今夜、僕が唄おうと思っているのは、五稜郭公園前電停からひとつ手前、中央病院前電停の裏道だ。
裏道とはいうが、僕が唄うからにはメインストリート。紛う事なき夜の王道。
昨日の失態を避けるため、今日ばかりは明るいうちに歩いてみたが、良い通りじゃないかと思う。
車1台しか通らない感じが、米子の朝日町通りを髣髴とさせる。
名前も知らないその通りにネオンが灯るのを、僕は待った。

陽が落ちた。
昨日、八雲で固めた決意だが、さすがに緊張してくる。
良い通りだとは思ったが、すんなり唄わせてくれるとは思わない。
さっき通った地下道からはギターと歌声が流れていたので、函館に路上シーンがない訳じゃない。
デパートの前で唄ってるのも、遠くから見えた。
だからといって、飲み屋街での演奏が「あり」なのか「無し」なのか、それは出たとこ勝負だ。
僕は、遠くに地下道の演奏を聞きながら、表通りのガードレールに腰掛けて、ウイスキーをあおっては時間を待った。

今からまさに飲みに行くぞ、という団体が、数多く通り過ぎて行く。
そのうちの3割ほどが、だんだんと僕の唄う通りへと流れ始めた。
頃合いだろうか。
と思った矢先

「お、ストリートミュージシャンか」

とは、通りがかりの団体さんからの声。

「ええ。旅しながら唄ってるんですけど、今夜は函館でお世話になります」

そう僕が返すと、珍しく興味津々に質問してくる真っ赤な顔の男性。

「おお、そうか。函館はミュージシャン多いからな。地下か? 向こうか? 後で聴きに行ってやっから」

そう言って本当に来てくれる人は数少ないが、悪い気はしない。
なので僕は

「いえ。そっちの、裏の飲み屋街で唄おうと思ってるんですが」

と、答えた。
すると途端に男性は

「そりゃあ、やめた方がいい!!」

と、半分笑いながら驚いた。
これには僕も驚き、やっぱ危険地帯なんかなあ、米子もヤクザ多かったしなあ、と躊躇し始めた。

「やっぱ、まずいですか?」 と尋ねれば

「う~ん。向こうで皆と唄えば?」と答える。

見知らぬ街への緊張感には、八雲でもらった元気も空気が抜けていく様だ。
しかし、今夜はやらねば。
漁師のお母さんにきちんと唄えなかった心残りは、ここでしっかりと唄う事でしか果たせない。
僕は、半笑いの男性に、もう一度だけ食い下がった。

「好きな感じの通りなんですがねえ。危ないんですか」

男性は、やっぱり同じ様に笑いながら答える。

「そりゃ、よっぽど上手いなら別だけど」

そうか・・・。



なんだ いいじゃん ( ´,_ゝ`)オイオイ


「まあ、頑張って」

と去って行く男性に頭を下げ、僕はギターケースを抱えた。
ちょっと酒が足りないのが心配だが、唄いに行こう。


すぐにビールが来た(爆)。
裏通りの、更に裏路地へ入りそうな店舗の横で座り込んだ僕にグラスのビールを持って来てくれたのは、3軒ほど隣のお店。
お礼を言って、帰りにグラスを返しがてら寄る事にした。

その後も、思ったより数多くの人が立ち止まってくれた。
聴いてくださった地元の方に尋ねてみると、数年前までは、唄ってる人がいたらしい。
すごい上手かったよなあ、と、誰もが噂する。

「すみませんね、そんな場所で唄って」

と、さすがに恐縮したのだが いやいや兄ちゃんぐらい唄える人ならいいよ と言ってくれた。
僕が上手いと思っているのは、半分は歌であっても半分は選曲なのだ。
真正面から 「歌が上手い」 と言われて、どんな歌唄いも嫌な気分になるものか。
そんな良い雰囲気で、かなり長時間に渡って唄えた。

後で店に呼んでもいい? と言ってくれた方がいたが、どうやらタイムアップなので、函館の夜は唄い収めにした。
午前1時半。
荷物をまとめ、ビールを差し入れてくれたお店にグラスを返しに行く。
だいぶ余裕が出来たので、1、2杯飲ませてもらおうかと思う。

コンコン、とドアを開けると、いらっしゃい、と静かな店内。
あれ・・・?

「これ、頂いたんですが・・・違いますよね?」

「ええ、違います(ニッコリと)」

間違えた、隣だった。クラブMARIA
再び、コンコン、とドアを開けると いらっしゃ~い! と賑やかな店内。
ご馳走様でした、とグラスを返すや否や

「ちょっと座って行ってさ~」

と、山本リンダ似の色っぽいママさん。
僕もそのつもりだったので、荷物を置かせてもらい、先にトイレを借りた。
素敵な函館だったが、難を言えばコンビニもなく、トイレをどうしようか悩んでいたのだ。
飲む体制を万全にして、着席。

「アタシ、こういう人好きなのさ~」

と、ビールを注いでくれたママさん。

クラブMARIAの丸いカウンターには、お客さんと女の子たち。
せっかくなのでとリクエストを頂き、唄わせてもらう。
お客さんも若いのに落ち着いた方が多く、すごく真面目に聴いてくれた。

程なく落ち着いて、また飲み始める旅唄い。
ママさんは良い感じに酔ってるがベロベロでもなく、逆に真面目な面持ちで話しかけてきた。

「アンタが良かったら、しばらく店の前で唄ってもらっていいよ~。きちんとイス置いてよ」

本当に嬉しい言葉だ。
路上で唄っている人間なら、その大きさは分かるはずだ。

だけど、僕には自信がない。
お店の名前を背負って唄うというのは、難しい。
とても名誉に思うが、内情は単純じゃなかった。経験は、いくつかあった。
それぞれに色んな思惑があり、ただ唄いたいだけの僕は、いつもその思惑に応えられなかったのだ。

それに僕は、急いでいた。
もっと、日本中を唄い回りたかった。
いや。唄う事はすり替えだったかも知れない。
何か、動き回る事でしか紛らわしきれない気持ちを抱えて、僕は唄う旅を続けていた気がする。
逃げていると呼ばれても仕方がない行為だ。

だけど、ただひとつ。
何かの代替行為として旅を続けていたのだとしても、唄う事そのものは僕に厳しかった。
決して、逃げ込めるような生温い行為ではなかった。

他人と自分とを
言葉と生き様とを
雨と太陽とを
疲れと眠りとを
気温と気圧とを
季節と温もりとを
短くなるタバコの先端を
待つ人のいた時間を
待つ人もなく迎える帰郷を

そのどれもを、決してごまかしてはくれなかった。
それはいつも、僕の喉元に突きつけられていた。

家のないお前は、さあどうする?
最後の小銭も失くしたお前は、さあどうする?
誰も見向きもしない事を、さあどうする?

唄う事は、いつも現実を突きつけてくれた。
そういう意味で僕の 『歌そのものとも言える旅』 は、夢なんかじゃなく現実だった。

函館で、最後のグラスを空ける。

僕は、何度もお礼を述べた。
頑張ってねぇ、とママさん。
お礼のつもりで来たのに、チップをもらって店を出る僕。
また、きっと来ます。
そう言っては、それっきりの函館。
そういう事だ。
そういう事を、僕は平気で覚えている。
一期一会なんて、夢のまた夢。

返しきれない心が、いつまでもいつまでも、日本中に置き去りのままだ。


Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
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山越駅

珍しく、前回より時系列に沿って話は続く。
要するに、真っ暗闇の海岸沿いを歩いてた黒いカエルさんが、それからどうしたのか。


八雲の隣、山越駅に辿りついたのは午前3時前だったか。
駅より、僕にとっての救いは、広々とした駐車場が併設してあるコンビニを発見した事だった。
どこまで続くか分からない真っ暗闇を歩く旅人は、恐らく誰もが、こうやって文明の灯りに安堵するものだ。
小さな無人の駅舎ひとつでは、やはり深夜に心細い。


一般には馴染みの少ないかもしれない山越を、僕もおさらい気分で説明しよう。

明治36年に開業されたこの駅だが、この段階ではまだ国鉄所有ではなく北海道鉄道である。
当初は「山越内」という駅名で、翌年から「山越」に名称変更された。
ヤムクシナイは、アイヌ語で「栗の樹がある川」の意味。

江戸時代に松前藩が平定したヤムクシナイ場所。
そのうち江戸幕府の直轄領となり、最北端の関所を設けたらしい。
辿りついた晩には暗くて文字も読めず 「なんで関所みたいな門があるんだろう」 と思ったが、その通りに関所だったのだ。

そんな歴史のある山越駅で、朝を待つ事になった旅唄い。
始発は、午前7時を回らないと通らないらしい。
「じゃあ、もう一駅くらい歩けば良いじゃないか」 と他人事なら言えたが、自分事なのでやめた。
もう、カエルさんのライフゲージが、肉体的にも精神的にも少なかったのだ。

まずは朝までどうしようかと、真っ暗な無人の駅舎に向かって引き戸に手を掛けたら、スッと開いた。
ラッキーといわんばかりに、即座に荷物を隅に置く旅唄い。
気分的には、カエルさん・1UPだ。

ところが、試しにうずくまってみたものの、暖は取れない事も判明。
そこで、コンビニ登場。
こんな山奥で荷物も取られるものかと、タッタカターとコンビニに向かう。
が 『時間つぶしに延々と立ち読み』 なんてマネの出来ない小心者の自分を思い出し、トイレを借りて暖かいコーヒーだけ購入して、駅舎に戻った。

ああ暖かいな~、と感じたのも束の間の錯覚。
夏の終わりの出発のために衣類の手持ちが少なかったので、総出で対応しても寒さが押し寄せる。
これは、朝までなんか持たない。
変に水分なんて補給したら、トイレが近くなるだけだった。
カエルさん、再びライフ減。
よって、トイレはあるかな~と探してみたら、キレイなトイレがあるある。まあ、無人とはいえ駅だし。

しかし、体内の水分を放出すると体温もそれだけ持っていかれる。
駅舎とトイレを往復する事3回目、僕はひとつの違和感に気付いた。
普通だったら手洗いのすぐ横にあるはずの、あのガーッと温風で手を乾かすヤツが、壁の妙な場所に、しかも半端な高さで設置してある。
なぜ? と思い、そっと覗いてみると

ヒーターだった。

北海道! 恐るべし!!

これって電源入るのかな、と思いながらも勝手にスイッチオンすると

ジワ~


点いた点いた~!!


その後は、腰の高さ辺りに設置されたヒーターで、裏表まんべんなく温めながら朝を待ったのだ。
カエルなのに、干物状態。
以上で、山越の夜は終了(笑)。

せっかくなんで、次回はこのまま函館編に続こうと思います。


                       写真参照 wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:JR_Hokkaido_Yamakoshi_Station.jpg

 
Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=42.250631,140.326653&spn=0.056163,0.140419&z=13